「福島の子どもたちを、目に見えない放射能の戦場から救ってください!」
佐藤幸子 (子供たちを放射能から守る会福島ネットワーク)
9月22日、ニューヨークでのアピール
私は、30年間自然に添った農業をしながら、子ども5人を育ててきました。チェルノブイリ事故の後、石油が輸入されなくなっても原発が止まっても、生きられるようにと、昔からの知恵や技を自分が受け継ぎ、次の世代へと繋ぐ生き方をしてきました。それは、人間が本来大切にしてきた、人の繋がり、自然への畏敬を大切にする生き方です。「自然農」の田畑で稲、野菜、雑穀などを作り、薪で食事を作り、家族7人協力してささやかな生活をしてきました。その生活を、学びたいという人々が全国から集まり小さな共同体が出来ていました。それらが、3月11日を境に、一変してしまいました。地震、津波、原発事故三重苦のなか、それでも生きていかなければならない苦しさ。とりわけ、原発による被害は目に見えないだけに、それを受け入れることができない苦しさがあります。私の周りにいた仲間もみな、自分の大切にしていた農地を捨てざるをえませんでした。農民にとって農地を離れることが、どれ程辛いことか。
原発事故の報道がされない3月11日の夜中に、私は、福島に住んでいる4人の子どもを、山形に避難させることを決めました。チェルノブイリ事故の後、もし福島原発が将来事故になったら、山形に避難させることを決めていたのでした。
山形の友人に電話すると、「ついに来るべきときが来たね。すぐにおいで」と快く引き受けてくれました。親として、子どもの命を守るという、最低限の役目を果たすことができました。
自分の子どもは、3月13日に山形に避難させましたが、福島には30万人の子どもたちが残されていました。私は、その子どもたちを一人残らず、助けたいと、校庭の線量測定から始めました。その結果、福島県の75%が放射線管理区域であることが判明しました。すぐに、子どもたちを避難させてほしいと、県に進言書を提出した日に、国は子どもたちの年間被曝量を20ミリシーベルトと決めました。この基準は、福島市や郡山市を避難区域にしていしないための数値であることがわかります。事故前と事故後で、放射能に対する人間の抵抗力が変わるとでもいうのでしょうか?基準値を引き上げることによって、避難させる範囲を広げないようにしたのです。「自主避難の人には補償はしないけれど、避難したい人は、勝手にどうぞ」という国の回答でした。避難にかかる費用を少しでも少なくするためです。子どもの命より、経済を優先した結果です。
「福島県民も他の県民同様、なるべく被曝しない権利がありますよね?」という質問に対し国からの返事はありませんでした。福島県民は見捨てられたのです。被曝を減らす為の避難する権利すら認められていないのです。
国は除染にはお金を出すけれど、避難には出さない。順序が逆です。汚染されたところに子どもを置いたままの除染では何もならないのです。
去年と何も変わっていない美しい風景の中に確実に存在する放射能は、そこに住むことができないと判断した人と、そこに住み続けようと判断した人の間に、大きな溝を作ってしまいました。子どものことを一番に考えたら、避難が一番なのです。しかし、避難先に仕事があるのか?家のローン、月10万円をどうするのか?介護している両親を置いていけるのか?子どもの友達関係を引き裂いてまで避難する必要があるのか?
「100ミリシーベルト/hで、200人に一人のガンが増えるだけ」という放射線リスクアドバイザーの言葉を信じている人、もう福島は大丈夫と思いたいと、耳を塞いでしまっている人にとって、もう騒がないで欲しい、3.11前の生活に戻りたい。様々な人たちの声が聞こえてきています。本来なら、同じ被害者であるはずの家族が、地域の人々が、思いを共有できないという悲しい現象、心がバラバラになることによって引き起こされた精神的被害、これが「直ちに出た健康被害」です。
福島県は、放射能リスクアドバイザーの山下俊一氏が、県内隈無く「100ミリシーベルト/h浴びても、妊婦、乳幼児でも大丈夫」と講演して回りました。その結果、何の防護もしないで福島県民は生活しました。県は、データを公表せずに汚染されていた地域の人に何も知らせませんでした。その結果20㎞圏内の住民を、線量の高いところに一時避難させてしまいました。そのことは1ヶ月も過ぎてから公表したデータで分かりました。県は、3日後にそのデータを入手していたにもかかわらずです。食品の暫定基準値は、500ベクレルです。これ以下なら、普通に市場に出回ります。県や国はウクライナや、ベラルーシの基準値を公表しません。
内部被曝は、ほとんど考慮しないで年間被曝量が決められています。そして、今後ジワジワと出てくる低線量被曝による被害は、確率が低いからと何の手だてもしません。それどころか、これまで、100ミリシーベルト/h以下のデータがありません、そのデータを集めるため福島県民200万人をモルモットにしようとしているのです。そうしたことを、私たち市民が「おかしい」と発言しても、マスコミは正確な情報を流してくれません。チェルノブイリでは、子どもの甲状腺ガンの被害以外は何もなかったことになっているからです。県や国に要望しても何も解決しないのです。全てにおいて県と国がこれまで福島県民に対して行ってきたことは、県民を守るという姿勢は感じられません。県や国の言うことは、全く信じられません。
見えないはずの放射能で汚染された福島が、私には戦場に見えます。それはまさに、愚かにも人間が自然を征服出来るかのごとく振る舞ってきた結果の、人類と、自然との戦いの場です。自然豊かな福島「うつくしま福島」だからこそ、見た目には何も変わらない、「美しい戦場」となりました。放射能と、国家権力で子どもの未来を奪ってしまう戦場です。戦場に子どもは居てはいけないのです。戦場の炎の中にいる子どもたちを置き去りにしてはいけないのです。これまでの、経済優先の考えでは、子どもたちを救えないのです。子どもたちを救うあらゆる手だてを今すぐ行わなければなりません。
原発事故の恐ろしさは日本中、世界中が感じたはずです。
それでも尚、原発を止めないこの国は、一体何を考えているのでしょうか。今後、何世代先にも及ぶ影響が出ると言うことをどう考えているのでしょうか。子どもの命を救うより、戦闘機修理代の予算を多く取るような日本です。6ヶ月も炎の中に放って置いた国に期待はできません。子どもの命を守るのは、国でないことがはっきりしました。このままでは、「未来の子どもたちの命より、目先の経済のほうが大切だと21世紀の大人たちは判断しました」と、将来にわたり人類が滅びるまで、伝え続けて行かなければならないことになるのです。子どもの命を守れるのは、住民です。何が正しくてどうすることが命を守ることになるのか、心の目を見開き一人一人が自分で判断して行動しましょう。
「子どもの命を守る」たったこの一つの願いを叶えるために、福島の親たちは立ち上がりました。福島の子どもたちを守りましょう。そして、福島の子どもたちのような悲しみを、もう二度と起こしてはいけません。あらゆる人々がつながり活動を進めましょう。福島から発信された原発事故の恐ろしさが、世界中の人々に伝わり、全ての原発を止めることができるまで、活動を続ける覚悟です。自分には関係のないことと、いままで目をつぶってきた付けが今回ってきたのです。生き方をも変えなければならないほどの重要な決断をしなければならない時がきたのです。
もし、これで原発が止まらなかったら、人類は滅亡への道を進むことになるでしょう。全世界のみなさん共に力を合わせて必ず、原発を止めましょう!
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