2012年5月31日木曜日

この国は原発を持って大丈夫か 東海村長 村上達也

この国は原発を持って大丈夫か
                          東海村長 村上達也
 413日、この国は二つの阿呆な振る舞いをしでかした。一つは北朝鮮の宇宙ロケット発射に過剰反応しながら自らお粗末な対処能力を暴露したこと、もう一つは首相と三閣僚が大飯原発34号機の再稼動の「政治判断」をしたこと。
 全く呆れた国だ、情けない国だとつくづく思う。北朝鮮のロケット発射騒ぎはさて置き、未だ収束せざる世界的歴史的大惨事、福島原発事故を起こしておきながら、なんの反省もない国や電力・原子力界には怒りを超えて悲しくなる。原発事故後、既に一年を経てもなお原因究明も責任の所在究明もできずにいる。否しようとしないでいる。その結果何一つ新たな原子力政策を打ち出せず、方向転換もできないでいる。ドイツのメルケル政権は直ちに7基の原発を停止し、2022年までに全17基を全廃する措置に出たというのにだ。
 言葉では「脱原発依存」とは言っても国内の全原発を俯瞰したうえで、どれをどうするのか判断基準も行程表も政府から示されていない。新設中、計画中の原発はどうするかも明らかでない。出てきたのはあろうことか付け焼刃、俄かづくりの暫定新安全基準そして再稼動に前のめりの「政治判断」ということだ。しかも新安全基準は完全に信用失墜し、存在意味のない原子力安全・保安院、原子力安全委員会が策定したものだ。東海村JCO臨界事故後サボタージュしてきた推進と規制の組織分離、原子力規制庁の設置も後回しだ。
 私は原発立地市町村長の中で只一人、しかも原子力発祥の地から脱原発を唱えている首長だが、この思いに至った根底は「東海第二原発もあわや福島の二の舞であった。原発事故で故里を失い、流浪の民はゴメンだ」という思いにあるが、決定的であったのは昨年618日の海江田経産大臣の玄海原発再稼動に向けての安全宣言であった。それが、この度の大飯原発再稼動の「政治判断」でいよいよ決定的となった。「この国は原発などを持つ資格なし」と。思えば私はJCO臨界事故時もこう言ってきた。「日本は科学技術的には原発を持つ能力はあるかも知れない、しかし保有する社会体制、社会的コントロールシステムを欠いている」と。
 福島原発事故を経験した後もやはり変わろうとはしていない、否政治家も官僚もその能力を備えていないようだ。個別原発の再稼動ということに視点を捕られ大局を捕らえた政策判断ができていない。戦前のエリートも大日本帝国だ、列強だと自惚れていたが思考は戦術に捕らわれ戦略的能力を欠いていたし、国益と言いながら軍部の立場、利益に固執し国民に塗炭の苦しみを与えた。ところで「国策」などというおどろおどろしい言葉はやたらに使われるものではないが、原子力政策、原発は「国策」だとのたまっている。想起されるのは、昭和16年の対米英戦に備えた御前会議決定の「帝国国策遂行要領」ぐらいである。原発は民衆にとってどういうものか、この言葉は意味してないだろうか。
 さて政府と電力・原子力界は事故後の改革をサボタージュして各個撃破的に個別原発再稼動によって旧に復そうとしているが、それこそ彼らにとって致命傷となるだろう。国民世論を見てもらおう、80%以上の国民が脱原発を支持している。国民は東日本大震災、原発事故に遭遇し価値観の転換をしたのだ。経済発展、利便性、効率性を求めることから今と未来を生きる全ての命、それを育む自然、故里つまり持続可能性に価値観の転換をしている。特に若い世代、中でも若い女性に顕著で、脱原発の国民的運動はこの人たちに担われ、原発事故から1年余経って収束するどころか全国津々浦々に拡大し続けている。それを私は講演会や署名活動ばかりでなく、日々の公務の中でも感じている。これは政党や労働組合など組織によって動員された旧来型でなく市民の自発的運動であって、日本史上稀有なことである。
 428日、全国市町村長の有志100名以上が住民の生命と財産を守る地方自治の本旨に則って、東京の城南信用金庫本店に集い(仮称)「脱原発をめざす首長会議」を立ち上げる。紙幅が尽きたのでこのことを伝え筆を擱きます。